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カンボジア王国(カンボジアおうこく)、通称カンボジアは、インドシナ半島に位置する東南アジアの立憲君主制国家。東にベトナム、西にタイ、北にラオスと国境を接し、南は南シナ海に接する。首都はプノンペン。国民の90%以上がクメール語(カンボジア語)を話し、仏教(上座部仏教)を奉ずるクメール人(カンボジア人)である。
正式名称は、クメール語でព្រះរាជាណាចក្រកម្ពុជា(発音:プリアリアチアナチャクラプチア、ラテン文字表記:Preăh Réachéanachâkr Kâmpŭchea)。プリアは王の称号。リアチアは王、アナチャクラは国で、両方合わせたリアチアナチャクラは王国と言う意味。隣国のタイの正式名称とよく似ている。
公式の英語表記は、Kingdom of Cambodia(キングダム・オブ・カンボゥディア)。略称は、Cambodia。
日本語表記は、カンボジア王国、通称は、カンボジア。漢字表記は柬埔寨。では自分の国を「カンプチャ」と呼んでいて、建国者といわれるインドのバラモン僧「カンプー」とその子孫を意味する「チャ」に由来する。
この国の中心には国際河川の大河メコン川が流れ水運を担っている。主食は米で稲作農業が盛んである。この国の中央付近にはトンレサップと呼ばれる大きな湖があり、その北方にはクメール文明の遺跡として世界的に有名なアンコール・ワットやアンコール・トムといったアンコール遺跡(1992年、世界遺産登録)が存在する。
国土の大部分は海抜100m以下であるが、プノンペン西方にカーダマム山脈が連なり、最高峰プノン・アオラル山(1813m)がある。
モンスーン気候帯に属し、5~10月が雨季、11~4月が乾季である。雨季にはタイ湾からの風で気温は22度Cまで下がり、乾季には北東風で40度Cまで上がる。雨季のメコン川の増水でトンレサップ湖に逆流し、湖面積がほぼ10倍に拡大する。
カンボジア国内にはかつての内戦の影響でたくさんの地雷と不発弾が埋まっており、それらの場所には危険標識があるものの、カンボジアの子供達は母国語であるクメール語の文字が読めないために誤って危険地帯に入ってしまう。そのためJMASなどの日本のボランティアでは、子供でも理解できるポスターを作ったり、わかりやすい地雷の標識を設置するなどの活動をしている。
ノロドム・シハヌーク国王の下で1949年にフランスから独立後、ベトナム戦争が始まると国内は不安定化し、アメリカと南北ベトナムが介入し内戦状態となった。1968年には米軍の空爆が始まり、1970年には親米派のロン・ノル将軍のクーデターによりシハヌーク国王が追放され、クメール共和国が樹立された。内戦は一層激化し、空爆がカンボジア全域に拡大され数十万人が犠牲となると、クメール・ルージュ勢力の伸張をまねいた。1975年、極端な共産主義を掲げるクメール・ルージュの独裁者ポル・ポト政権が成立。1979年までに、旱魃、飢餓、虐殺などで100万人以上とも言われる死者が出た(虐殺の数については5万~330万と諸説あり)。 1979年にベトナム軍が侵攻しポル・ポト政権を打倒。その後ポル・ポト派含む三派とベトナム、ヘン・サムリン派との間で内戦が続いた。1989年にベトナム軍が撤退、1991年10月にパリ和平協定が結ばれた。1992年3月から国際連合カンボジア暫定統治機構による統治が開始され、1993年には国連監視の下で民主選挙が実施された。この時の国連の代表が日本国籍の明石康である。9月に制憲議会が新憲法を発布し立憲君主制を採択、ノロドム・シハヌークが国王に再即位した。
2009年12月18日、カンボジア特別法廷[2]は、キュー・サムファン元国家幹部会議長を大虐殺(ジェノサイド)罪でも訴追することを通知した。法廷は、16日までにヌオン・チア元人民代表議会議長、イエン・サリ元副首相の二人にも大虐殺罪適用を決定している。[3]
国家体制は国王を元首とする立憲君主制である。現在の元首は2004年10月に即位したノロドム・シハモニ国王。立法府たる国民議会は両院制を採用しており、議員は直接選挙で選ばれる。
カンボジアの民法の整備には日本が全面的に協力している。カンボジア憲法には、内政不干渉、紛争の平和的解決、永世中立が明記されている。
カンボジアは、20の州(khett)と4つの特別市(krong)に分かれる。
主要産業は農業、漁業、林業。近年は観光産業と縫製産業が成長し、外国からの投資も大きな伸びを示している。主な鉱物資源として燐(未開発)、マンガン(未開発)、宝石がある。塩を4万トン生産する。経済成長率は、2004年に10%、2005年に13.4%、2006年には10.4%(カンボジア政府の統計)。
カンボジアの国土に占める農地面積は21.6%に及び、人口の34%が農業に従事している。生産年齢人口が人口の55.8%であることを考慮に入れると、カンボジアの主産業は農業である(以上、2002年時点)。しかしながら、労働生産性が低いため、農産物は国内需要を満たすに過ぎない。主要穀物では米(417万トン)の生産に特化している。商品作物の生産では葉たばこと天然ゴム(4.6万トン)が目立つ。
主要輸入品目は、石油製品(8.2%)、たばこ、オートバイ。主要輸出品目は衣類(77.8%)、天然ゴム、木材である。主要輸出先はアメリカ(36.8%)、シンガポール、タイ。主要輸入先はタイ(15.6%)、香港、シンガポールである。
通貨はリエルが存在するが、カンボジア経済の実情と比較してリエルの為替レートが高く、特に輸出に不利なので、一部を除いては通常米ドルが使用される。カンボジアではポル・ポト政権下の1978年、原始共産主義的政策の一環として全ての通貨が廃止された。同政権崩壊後の1980年にリエルは復活した。地方、シェムリアップ西部のクララン周辺以西、以北、アンロンベンやプレア・ヴィヘアなどのタイ国境に近い地域ではリエルよりもタイバーツが使用される場合もあるが、1B=100Rで使用できる。
カンボジア製の衣類は日本にも2000年代以降多く輸出され始めている。例えば、ユニクロの子会社であるジーユーが販売している一本990円という低価格のジーンズなどがカンボジア製である。人件費の安さなどを武器とし、経済成長の緒に就いている。
現在、中国が経済進出し、カンボジア首相府のビル建築や南部シアヌークビルのインフラ整備にも多額の資金援助を行っている。
また、中国以上にカンボジアに影響力を拡大している韓国は、首都プノンペンに42階建ての高層ビルを建築やプノンペン郊外に20億ドル規模の新興都市を建築中である。都市の名前は、韓国とカンボジアの国名の頭文字を採って、KANKO市と命名された。多くの韓国企業がカンボジアに進出するとあって、現在カンボジアでは韓国語ブームが起き、プノンペンだけで17の私立韓国語学校が存在する[4]。
クメール人が90%、ベトナム人が5%、華人が1%、その他4%など36の少数民族である。
クメール語が公用語であり、かつ最も話されている。
9割以上が上座部仏教である。国民の4%ほどがイスラム教徒である。(主にチャム族の信者)
子供(日本における小学生に相当する)は2部制の義務教育である。朝、または午後から通う子供たちはそれぞれ仕事をもち、さながら日本における定時制教育の様相を呈する。そのため就学率自体は高いと予想される。
若年層の識字率は低くないが、45歳以上の識字率はクメール・ルージュによる教育破壊の影響で21.0%とかなり低い水準である。
カンボジア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件ある。詳細はアンコール遺跡およびプレアヴィヒア寺院を参照。