ドイツ鉄道

ドイツ鉄道
と言えば・・・

ドイツ鉄道(ドイツてつどう、ドイツ語: Deutsche Bahn, 略称: DB)はドイツで最大の鉄道会社。ドイツ全土に鉄道網を持ち、ドイツでは最も重要な交通手段のひとつ。ヨーロッパ有数の技術・輸送力を持つ鉄道会社であり、世界的にも影響力のある鉄道企業のひとつである。

ドイツ鉄道 (DB, Deutsche Bahn) は旧西ドイツ国鉄(DB, Deutsche Bundesbahn:ドイツ連邦鉄道)と旧東ドイツ国鉄(DR, Deutsche Reichsbahn:ドイツ国有鉄道)が1994年はじめに統合、民営化された際に誕生したDBグループの中核会社である。またDBグループの意味でも用いる。ただし、民営化後も依然として国家の所有となっており、実際には株式会社化されたのみである。株式の売却による実質的な民営化は今後の課題となっている。

なお旅客輸送には「Die Bahn」(The railというような意味)という愛称を用いていたが、2007年末より「Bahn」に変更されている。

2008年1月より、実際に鉄道の運行を行なう代表的なグループ会社は、以下の3社に再編されている。

なお2007年までは、実際に鉄道の運行を行なっている代表的なグループ会社に以下の6社があった。

このうちDBフェルンフェアケーアはDBライゼ・ウント・トゥーリスティックとして誕生したが、2003年に改名された。DBシュタットフェアケーアは多数の子会社を持ち、この中にはSバーンを運行するSバーン・ベルリンとSバーン・ハンブルク、さらにはシュトゥットガルト地域バスなどのバス会社が含まれる。レールオンはDBカーゴとして発足したが、1999年に旧オランダ国鉄の貨物部門と合併し、現社名に改められた。この後2001年には旧デンマーク国鉄の貨物部門とも合併を果たしている。DBカーゴの名は会社としては消滅したが、現在もブランド名として使われ続けている。

東日本旅客鉄道(JR東日本)とドイツ鉄道の間では、1992年に、鉄道の技術開発に関する基本合意を締結しており、以来、高速台車の開発など、技術面での交流が行われている。また、2008年からは、営業分野での交流も開始している。

駅や車両内の案内は数字や記号(アイコン)で表現されており、難解な文章を解読する必要はあまりない。さらに地域によっては、フランス語や英語など他国語の案内も併記されている。またその表示方法は全路線で統一されている。駅では時刻表の入手はもちろんのこと、自動券売機で出発地と目的地を入力する(または窓口で申し出る)ことにより経路案内も無料で入手できる。

Sバーンなど都市近郊の列車ではゾーン制運賃になっており、中央駅を中心にある範囲はいくら、という価格設定になっている。ゾーン制の切符は路面電車やバスと共通である。切符は改札してから2時間程度有効で、その間乗り降りは原則として自由。ただし、詳細は都市によって異なる。ベルリンなどでは片道のみが有効。つまり、A駅からB駅に行く際、途中の駅での乗り降りは自由であるが、B駅からA駅に戻る場合は2時間以内でも新たに切符を買わなくてはならない。改札は駅のホームまたは車内にある自動改札機で行なう。改札を受けていないと検札の際に不正乗車と見なされ、高額の罰金を徴収されることがある。

長距離の切符は行き先を指定して購入する。長距離切符は経由駅が指定でき、途中下車も48時間以内まで可能である。列車の料金はICE、IC、ローカル線で異なる。切符は窓口か自動券売機で買う。インターネットでも全列車の切符のクレジットカードによる予約・購入できるほか、国外他社線も直通列車の一部について購入が可能である。

自動券売機はタッチパネル式であり、どんな駅にも少なくとも1台は置いてある。ただし、タッチパネル方式の長距離路線用のものと、押ボタン方式の近距離路線用の2種類があり、同じ交通連合内のゾーンに含まれる近距離の場合は、ドイツ鉄道のローカル線を利用する場合でも、近距離用の券売機でしか購入できない。また、前者ではクレジットカードでも決済できるが、後者では現金のみである。さらに、地方の無人駅などでは近距離用の販売機しか置いていないことがあるため、長距離、特に後述のBahnCardを利用した割引切符の購入や、路線検索などができない。

長距離用の自動券売機は割引切符なども購入できるうえ、後述のSchönes Wochenende Ticket(週末乗り放題チケット)や、Sparpreis(特割)など、窓口で購入すると手数料が加算される切符も追加料金がかからない。改札は車内で車掌が行なう。

指定席券は別になっており、一律3ユーロ。ただし、インターネットの場合1.50ユーロ。指定席車両、自由席車両の区別はなく、座席ごとに予約の有無が表示される。予約のある座席には予約されている区間を示したカードが貼られる。ICEのボックス席の場合は予約区間は入口の電光板に表示されている。一部の全車指定席列車を除けば予約は必須ではなく、予約のない区間は自由に座ってよい。

アウトバーンとの競争があるため、割引制度が充実している。半額以下で利用できる場合も少なくない。たとえばハンブルクからミュンヘンまで(約800km)はICEの正規料金で115ユーロであるが、最も安い割引切符だと20ユーロ以下にまで下がる。

主な割引制度を下記にあげる。価格は2008年現在のもの。

軌間はごく一部の特殊な路線を除き、大部分が1435mmの標準軌である。列車のほとんどは機関車と客車から構成されている動力集中方式であるが、大都市圏ではフレキシブルな運用を可能とするため、電車が主力になっている。また旧東独地域を中心に非電化区間では気動車も使用されている。

電化率は約50%で、ベルリンとハンブルクのSバーンなどの例外を除き、大部分が交流15kV16 2/3Hzでの電化である。複線化率は約50%で、主要幹線はほぼ複線化されており、都市近郊では複々線となっていることもある。

日本の約9割の面積を持つ国土に、約36,000kmの路線網を持ち、鉄道密度が世界でも高い国の一つであるが、他の交通機関との競争により、赤字ローカル線の廃線が相次いでいる。第二次世界大戦前は約60,000kmあったが、敗戦による領土喪失や、戦後の東西分割による路線分断、さらに不採算路線の廃線により、現在のような姿になった。

ドイツの鉄道網は、第二次世界大戦前は、首都ベルリンを中心に、ドイツの主要都市を放射状に結ぶ幹線と、都市間などを相互に結ぶ路線網で構成されていた。また、フランスおよびロシアを仮想敵とした国防上の問題から、南北より東西を結ぶ路線が重視されていた。しかし、敗戦と占領による東西分割で、放射状の幹線は国境線で分断され、東ドイツ・西ドイツともに南北に長い国となった。そのため両国とも、国内都市間の相互連絡に力を入れざるを得なくなり、戦前は地方路線級だった線区を、幹線並みに改良する必要が生じたが、線形が悪い線区も多く、改良には相当の投資と時間が伴った。旧西ドイツ側の高速新線に南北方向の路線が多いのは、このためである。

1990年のドイツ再統一後は、旧東ドイツ側の路線網のレベルアップが積極的に進められたが、戦前のような、首都ベルリンを中心に放射状に結ぶ路線網は復活せず、旧西ドイツのように、都市間を相互連絡するような路線網が構築されている。

近年は欧州連合 (EU) の交通政策により、高速新線の建設に力を入れているが、政府やドイツ鉄道の経済的困難や、環境保護団体の反対により、その建設ペースは鈍化している。また、赤字ローカル線は廃線したり、政府の補助金を基に、地元の企業や自治体に運営を委託するケースも相次いでいる。

現在のドイツはアメリカ・日本に次ぐ自動車大国であることもあり、人キロベースの国内旅客輸送の鉄道のシェアは自動車が約8割を占め、鉄道は1割に満たないのが現状。そのため、ICEの内装の高級化や、多種多様の割引制度、ダイヤの工夫が行われている。

貨物輸送に関しては、ヨーロッパのほぼ中央に位置する地理的条件もあり、国際貨物列車が数多く通過する。自動車のほか、国際河川や運河が発達しているため船舶との競争も激しい。トンキロベースの国内貨物輸送の鉄道のシェアは約15%であるが、EUの政策により「オープンアクセス」が実施されており、多数の鉄道貨物輸送会社が参入しており、競争原理によるサービス向上に貢献している。

ドイツ鉄道とその系列会社における車両は以下の通り。

上記のほか、特色ある車両としては、以下のような車両があったが、既に引退している。

ドイツ鉄道の車両番号は、客車・貨車を除き、「103 222-6」のように、「形式番号3桁 製造番号3桁-チェックディジット1桁」の7桁番号で示される。

この番号体系は、1968年に当時の西ドイツ国鉄が、車両をコンピュータ管理するために制定した体系で、それが現在に引き継がれている。なお、旧東ドイツ国鉄の番号体系は、旧西ドイツ国鉄の番号体系とは異なっていたが、旧東ドイツ国鉄の車両についても、1992年に旧西ドイツ国鉄の番号体系が導入されることになり、その際、大規模な形式番号の変更が実施されている。

具体的には、以下の7桁の番号を持つ。

"AAA BBB-C"

AAAは形式番号、BBBは製造番号、Cはチェックディジットである。製造番号とチェックディジットの間は-で結ぶ。

形式番号 (AAA) の概要は以下の通り。

製造番号 (BBB) は、001から始まる一連の番号である、ただし番台区分がある場合は、100の位で区別することもある。例えば103型電気機関車(量産型)のように、101から始まるような事例もある。

チェックディジット (C) は、以下の方法で計算される。

例えば、103型電気機関車の198号機の場合、1*1=1, 0*2=0, 3*1=3, 1*2=2, 9*1=9, 8*2=16。1+0+3+2+9+1+6=22(「数字」を加算するので、1+0+3+2+9+16=31ではない)。22以上で、22に最も近い10の倍数は30。30-22=8。よってチェックディジットは、8。→「103 198-8」となる。

客車・貨車の車両番号は、形式番号(例えば、Avmz108型)と、ヨーロッパの鉄道で共通に使用されている12桁の「UIC番号」(例えば、"73 80 19-90 720-8")で管理されている。

なお、2007年1月より、車両番号体系の管理が、ドイツ鉄道から連邦鉄道庁 (EBA: Eisenbahn-Bundesamt) に移管された。これに伴い、客車・貨車以外の車両(機関車・電車・気動車など)についても、12桁の「UIC番号」が導入されることとなった。これは、オープンアクセスの拡充で、ドイツ鉄道以外にも多数の鉄道事業者が参入したことにより、各社でまちまちだった番号体系を一元管理し、車両の融通がきくようにする目的がある。

新番号体系では、以下のようになる。

"9x 80 yAAA BBB-C *-**"

チェックディジットの計算方法は、1~11桁目の数字に対して、奇数桁目の数字に「2」、偶数桁目の数字に「1」をそれぞれ乗じ、11個の計算結果で得られた「数字」(「数」ではない)全てを加算する。その数字を、その数字以上で最も近い10の倍数から減じて、チェックディジットを得る。

例えば、旧番号体系「151 051-0」は、新番号体系では「91 80 6151 051-0 D-DB」となる。

旧番号体系と新番号体系で、7-12桁目(形式番号・製造番号・チェックディジット)が変わらないように、2桁目・5桁目の数字を割り当てているが、気動車のみ例外で、旧番号体系と新番号体系では、チェックディジットの値が変わる。

優等列車には以下の種類がある。いずれも特別料金が必要。

ドイツ国内の都市間を結ぶ列車や、ヨーロッパの都市間を結ぶ列車が、多数設定されている。

ドイツ語では「時刻表」は"Kursbuch"または"Fahrplan"と呼ぶ。目的に応じて、さまざまな種類の時刻表が存在する。

駅に掲示されている時刻表は、出発用(Abfahrt: 黄色の紙)と到着用(Ankunft: 白色の紙)に分かれている。時刻表には、種別(Sバーンの場合は系統番号)・時刻・行先(または発駅)・主要停車駅と時刻・発車番線・車内設備・運転日が掲載されている。ごく一部の例外を除き、駅に掲示されている時刻表は、その駅を発着する全ての列車が、方面や行先に関係なく、時系列に羅列されている。そのため例えば、同じ時刻に同じ系統番号を持つSバーンの列車が発車するように記載されている場合、行先を確認しないと、予定していた方面とは全く逆の方面に行ってしまう恐れがある)。

ICE・EC・ICの車内では、当該列車の停車駅・時刻や、停車駅毎の接続列車の時刻、停車駅でのサービス、車内サービスなどを網羅したパンフレット"Ihr Reiseplan"を無料配布しており、乗車記念に持ち帰ることもできる。通常は座席に置かれているが、ない場合は、車掌に申し出れば、もらうことができる。

ドイツ鉄道は、以下の時刻表を公式に発行している。毎年夏と冬のダイヤ改正で発行され、ドイツ鉄道の駅や、駅構内の書店で購入できるほか、都市接続時刻表 (Städteverbindungen) は主要駅で無料配布される。なお2008年6月、ドイツ鉄道は、冊子体の時刻表を2008年12月をもって廃止し、電子版に移行することを発表した[1][2]

上記以外にも、日本の駅で配布されているような、折り畳みタイプの路線別時刻表 (Streckenfahrplan, Linienfahrplan) が、主要駅で配布されている。この路線別時刻表は、ウェブサイト上でPDFファイルとしても配布されている場合が多い。

地域毎に交通連合 (Verkehrsverbund) が発行する時刻表も多数存在する。

なお、「時刻表完全版」には、線区毎に「時刻表番号」(Kursbuchstrecke: KBS) が割り当てられている。例えば、ライン川西岸線(マインツ - ザンクトゴアール - コブレンツ)には"KBS471"という番号が割り当てられている。この番号は、交通連合などが発行する時刻表にも、共通して使用されている。

ここでは、ドイツの鉄道の歴史を、簡単に記述する。

ドイツ最初の鉄道は、1835年12月7日、「バイエルン・ルートヴィヒ鉄道」(Bayerische Ludwigsbahn) により、ニュルンベルクとその隣町フュルトの間(約8km)に開業した。機関車や客車はイギリスから輸入した。ドイツ最初の蒸気機関車は「アドラー (Adler)」(ドイツ語で「鷲」の意味)と名付けられた。実際には1831年には貨物専業の馬車鉄道が走っていたが、この1835年12月7日は、現在、ドイツにおける公式の鉄道開業日となっている。

当時のドイツは、多くの王国や公国から構成される連合国家(ドイツ連邦)であったが、鉄道についても、王立鉄道や私鉄が多数存在する状況となっており、規格もまちまちであった。それでも1845年には鉄道の総延長は2,000kmに、1855年には8,000kmにもなり、急速に鉄道網が構築されていった。1843年には初の国際鉄道路線として、ケルンとアントウェルペン(ベルギー)を結ぶ路線が開通している。それに伴い、各鉄道事業者相互間の直通運転や、国際列車の運転も増加していった。

1866年の普墺戦争の勝利、1870年の普仏戦争の勝利を経て、1871年のドイツ統一により、連邦国家であるドイツ帝国が成立した。鉄道については中央政府による一元運営ではなく、連邦国家を構成する王国や大公国毎に運営されることとなった。代表的なものでは、以下のものがある。

この時期には、それぞれの鉄道事業者において、鉄道技術の目覚しい発展があった。蒸気機関車では、バイエルン王国鉄道のS3/6形(後のDRB18.4-5形)やプロイセン王国鉄道のP8形(後のDRB38.10-40形)のような優秀な機関車が製造された。1892年には急行列車 (D-Zug) の運転も開始されている。また、試験ではあるが、1903年にはベルリン郊外の軍用路線で、三相交流方式による電車が、世界で初の200km/h運転にも成功している。

なお、普墺戦争においては、鉄道が重要な役割を果たした。鉄道の大量輸送能力が、兵器や兵士の大量輸送を可能にし、ドイツの勝利に貢献した。鉄道の軍事的重要性が証明されたことにより、ドイツのみならず、ヨーロッパ各国で鉄道網の整備と、直通運転に伴う車両やインフラの規格統一が進められることになる。鉄道整備が、国家戦略の一つとして確立された時代であり、鉄道技術が軍事技術と一体となって、急速に発展することになる。それは同時に3B政策に代表されるような、鉄道が帝国主義政策の一手段として使用されることも意味し、やがては第一次世界大戦の勃発と、ドイツの敗北へと繋がってゆく。

日本の鉄道においては、明治から大正にかけて、欧米から多くの技術を導入し、それを吸収したが、その技術には、ドイツの鉄道技術も少なからず存在した。それがちょうど、この時期に相当する。

1918年、第一次世界大戦がドイツの敗北によって終結し、1919年にヴァイマル共和国が発足した。王国や大公国の単位で運営されていたドイツの鉄道は国家によって一元的に運営されるようになり、1920年4月1日を期して「ドイツ国営鉄道」(DR: Deutsche Reichsbahn) が発足した。1924年8月には改組され、公共事業体としての「ドイツ国有鉄道」(DRG: Deutsche Reichsbahn-Gesellschaft) となる。この時期のドイツは、敗戦と国土の荒廃、さらには巨額の賠償金と悪性インフレにより、大混乱に陥っていた。鉄道についても、破壊や賠償で多くの機関車を失ったほか、王国や大公国毎に異なっていた、200種類以上といわれる機関車や車両を抱えるなど、まさに前途多難な時期ではあったが、これらの体系を整理するなど、徐々に国営鉄道としての体裁を整えていった。

1920年代も中頃になると、ドイツの混乱は収束するようになるが、この頃には、新しい技術の導入などにより、鉄道技術のレベルアップが劇的に進んだ。1925年には「01型急行旅客用蒸気機関車」が登場し、他にも数多くの蒸気機関車が製造された。これらの機関車は「制式機」(Einheitsloks) と呼ばれるもので、国鉄によって決められた規格に沿って製造されたものである。このような規格統一は、車両以外でも進められた。

1923年には特急列車 (FD-Zug) の運転を開始している。1931年には、車体後部にプロペラを付けた高速試験用列車「シーネンツェッペリン」が最高速度200km/h以上の記録を樹立するなど、技術的挑戦が続けられた。さらに1933年には、ベルリンとハンブルクを結ぶ高速気動車「フリーゲンダー・ハンブルガー」(Fliegender Hamburger) が運転を開始し、当時の営業用列車としては世界最高速列車となった。また1928年には豪華特急列車「ラインゴルト」の運転も開始され、輸送の質的向上が進んだ。

1933年にヒトラー政権が成立し、ナチスによる独裁が始まると、社会基盤整備や国威向上策の一環として、さらなる鉄道網の整備や、鉄道技術の向上が進められることとなる。1937年には鉄道運営が国家直営となり、「ドイツ帝国鉄道」(DR: Deutsche Reichsbahn, "DRB"の略称が用いられることもある)に改組される。1936年には05形蒸気機関車05 002の試運転で蒸気機関車として世界初の200km/hを記録し、ドイツの鉄道は、世界でも最高水準に達した。

まさに「鉄道黄金期」という状況であったが、この頃になると、自動車や飛行機が、新たな交通機関として台頭するようになった。それまで事実上の「敵なし」だった鉄道が、急速に競争に晒されるようになる。もっとも、間もなく第二次世界大戦が始まり、全ての交通機関が軍事優先となったため、交通機関同士の「競争」は、一時「お預け」となった。

1938年のオーストリア併合やチェコスロバキア分割などで、併合された国々の鉄道も、ドイツ国営鉄道に取り込まれてゆく。1939年には第二次世界大戦が勃発し、鉄道は再び戦時輸送体制となった。戦時設計の52型蒸気機関車の、6,000両とも8,000両ともいわれる大量生産に象徴されるように、兵員輸送や軍需物資輸送が最優先されるようになった。そして1945年、ドイツの敗北でヨーロッパの戦争は終結したが、戦争末期の連合国の猛烈な攻撃や、敗戦直前のドイツ自身による破壊行為(敵に使わせないようにする、一種の焦土作戦)により、鉄道網はまさしく、ズタズタの状態となってしまった。

ユダヤ人の強制収容所への移送は、鉄道を使用して大々的に実施された。例えば、アウシュヴィッツ収容所には鉄道線路が引き込まれ、ユダヤ人が極めて粗末な貨車に詰め込まれてヨーロッパ各地から移送されてきた。この事実は、ドイツの鉄道における「負の歴史」として暗い影を落としている。ベルリンのグリューネヴァルト駅にあるモニュメントをはじめとして、ドイツ各地の駅に、そこから強制収容所に送り出されたユダヤ人のことを記した記念碑があるのは、そのためである。

第二次世界大戦でドイツの鉄道は駅・線路・車両など、ありとあらゆるものが破壊され、また、敗戦によって国土も縮小された。さらに、連合国によって持ち去られた車両や設備も少なくなく、まさに「マイナスからの出発」となった。

敗戦によりドイツは、連合国のうちの4カ国(アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦)によって占領されることとなる。鉄道は占領地域毎に、その地域の占領国のコントロールの下に運営された。1949年には米英仏占領地域が「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」として、ソ連占領地域が「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」としてそれぞれ別個に建国され、ドイツは分断国家となった。東ドイツ側では1949年に「ドイツ国営鉄道」(DR: Deutsche Reichsbahn) が発足、西ドイツ側では1951年に公共企業体として「ドイツ連邦鉄道(西ドイツ国鉄)」(DB: Deutsche Bundesbahn) が発足した。ただし、やはり4か国による占領が行われていた首都ベルリンの鉄道については、占領国に関係なく、ベルリン全域で(ベルリンの壁構築後も、1984年までは)東ドイツ国鉄が運営するようになった。

西ドイツ国鉄では、戦争で荒廃した鉄道網の復旧を進めるものの、被害はあまりにも甚大で、その前途は多難を極めた。西ドイツ国鉄の経営状態は、発足1年目の1951年に黒字となった以後は、一度として黒字となった年はなかった。前述の通り、戦前のドイツの鉄道網は、ベルリンを中心とした放射状路線であることと、東西方向の路線を重点的に整備していたこともあり、西ドイツ国鉄の路線網は、その多くが亜幹線レベルであった。このことは、スピードアップの足枷となった。幹線電化の推進や、TEEの運転開始(1957年)のような策を講じるも、戦前から進められていた道路網や航空網の整備の急速な進展により、鉄道は競争力を失う結果となった。また、技術的にも停滞することとなり、鉄道にとってはまさに「冬の時代」であった。

東ドイツ国鉄では、ソ連の援助により、戦争で荒廃した鉄道網の復旧が進められた。西ドイツとは異なり、社会主義国家であった東ドイツでは、自家用車の所有は「夢のまた夢」であったこともあり、鉄道は多くの国民にとって、最も重要な交通機関となった。同時に、鉄道は国家の重要インフラと位置づけられた。1950年代中頃までは、西ドイツ国鉄と大差ない技術レベル・インフラレベルにあったとされているが、やがてレベル向上は停滞し、西ドイツとの格差が広がるようになる。

鉄道「冬の時代」の流れを変えるきっかけとなった要因の一つは、1964年、日本において東海道新幹線が開業し、それが大成功を収めたことであった。ヨーロッパ各国では当初、新幹線の計画を一笑に付していたが、新幹線開業後の大成功は、高速鉄道の有効性を世界に知らしめることとなった。これに刺激されるかのように、西ドイツ国鉄でも特急列車の速度向上に取り組むようになり、1968年には最高速度200km/hの営業運転を開始(1年後に中止)する。また、動力近代化の名の下に、多数残っていた蒸気機関車を電気機関車やディーゼル機関車に置き換えることや、コンピュータの導入なども、強力に進められた。

1971年には、ドイツの各都市間を結ぶ特急列車「インターシティ」(IC) 網が構築された。TEE並みの全車1等車(1970年代末期からは2等車も加わる)、2時間間隔のパターンダイヤ、主要駅における異系統列車の相互接続といった思想は、日本のエル特急などにも影響を与えた。同じ1971年には、世界初のインバータ制御車両(電気式)が西ドイツで開発されている。1977年には西ドイツから営業用の蒸気機関車が姿を消し、また同年よりインターシティの最高速度200km/h運転も始まった。さらに、時速200km/h以上の高速運転が可能な高速鉄道「ICE」の開発や、高速新線の建設も始まった。1970年代には、西ドイツの鉄道は、日本やフランスと並び、世界をリードする存在となった。

一方、経営的には、非常に厳しい状態となっていた。モータリゼーションの発達で利用客は減少し、不採算の赤字ローカル線は合理化あるいは廃止され、鉄道網は大幅に縮小された。1980年代には西ドイツ国鉄の経営状態は破滅的となり、何らかの抜本的改革が必要となっていた。ちょうど1987年、日本の国鉄が分割民営化されたのを受けて、西ドイツでも経営の改善を目的に国鉄の民営化を模索するようになる。

東ドイツでは、鉄道はなお国家の重要インフラと位置付けられた。しかし1960年代以降、東西ドイツ間の経済格差は拡大するようになっていた。鉄道においても例外ではなく、東ドイツ国鉄の水準は西ドイツ国鉄に比べて見劣りがするようになった。電気機関車やディーゼル機関車の投入も実施されたが、蒸気機関車も遅くまで残り、営業運転を終了したのは1988年、西ドイツよりも11年遅かった。また、西ドイツのインターシティに対抗するような都市間特急列車も運転されるようになったが、スピードやサービスの面では大きく劣っていた。技術水準も1950年代後半で停滞したままで1980年代を迎えることとなる。東ドイツは東側諸国では経済的に優良だったとは言え、1980年代は東側諸国の経済低迷で、インフラの維持も困難になっていた。ただ、鉄道は多くの国民にとってなくてはならない存在であり、ローカル線も多数が存続していた。

1989年の冷戦終結とベルリンの壁崩壊を受け、1990年にはドイツ再統一が実現した。ただし、鉄道の運営については統合されず、従来の「ドイツ連邦鉄道 (DB)」と「ドイツ国営鉄道 (DR)」の並存状態、即ち、一つの国に2つの国鉄が存在することとなった。これは、西ドイツ国鉄の改革が、統一前から検討されていたことであり、東西ドイツ統一によって、鉄道再建の枠組みの再検討が必要となったからだとされている。鉄道再建のためには、まず、旧西ドイツ側と比べて大きく遅れている、旧東ドイツ側の鉄道の水準を引き上げることが急務となった。

そんな中で、1991年、ICEが営業運転を開始した。高速新線を最高速度280km/h(通常は250km/h)で走行し、ドイツの鉄道に新たな時代が到来したことを象徴する出来事となった。その後も高速鉄道網は拡大している。

1994年1月1日、「ドイツ連邦鉄道 (DB)」と「ドイツ国営鉄道 (DR)」は統合の上で民営化(株は全て政府が保有)され、「ドイツ鉄道株式会社」(DBAG: Deutsche Bahn AG) が発足した。さらに「上下分離」「オープンアクセス」制度が導入され、競争原理によるサービスアップが期待された。1999年には持株会社制となり、長距離鉄道運営会社、地域鉄道運営会社、貨物鉄道運営会社、駅運営会社、線路・インフラ保有会社のように、組織毎に分割され現在に至っている。民営化後は、ICE網の拡大や新型車両の投入を積極的に進めるようになった。

民営化により、一時は経営的に大幅な改善が見られたが、技術的には数多くの混乱が発生し、車両の不具合や故障などが多発することとなった。また、民間企業となったことで、より一層の合理化が進められることとなり、一部では乗客の不満が増大した。そのほか、以前は非常に正確なダイヤを特徴としていたにもかかわらず、近年は列車の遅れが多発している。そんな中で1998年には、ICEの脱線転覆で多数の死傷者を出す大事故を起こし、世界の鉄道関係者に多大なる衝撃を与えたと同時に、猛烈な批判にさらされることともなってしまった。

現在のドイツ鉄道は、依然として経営は苦しく、国内の輸送シェアも小さい。しかし、ヨーロッパの鉄道においては「なくてはならない」存在であり、EUなどが推進する高速鉄道網を担うキープレイヤーとしての役割も期待されている。近年の環境重視政策も、鉄道にとっては「追い風」となっている。

今後の課題の一つとしては、政府が100%保有する株式をいつ公開して「完全民営化」するか、ということがあるが、そのためには経営状態の改善が前提であり、経営状態が決して芳しくない状況下では、その前途は不透明である。加えて、機関士の労働組合「GDL」(Gewerkschaft Deutscher Lokomotivführer) によるストライキの実行などの理由で、更なる鉄道離れが起こる可能性がある。また、日本同様、ドイツでも少子高齢化や労働人口減少、自動車や格安航空会社への転移などよる「鉄道離れ」がじわじわと進んでおり、鉄道を社会の中にどのように位置づけるかという問題にも直面している。

2006年にドイツで開催されたサッカーのワールドカップでは、ドイツ鉄道がオフィシャルパートナーとして参加しており、大会公式の交通機関となった。

また、プロスポーツチームに対するスポンサー活動にも力を入れている。2006年から2007年にかけて、サッカー・ブンデスリーガのチームである「ヘルタ・ベルリン」のスポンサーとなっており、ユニフォームの前面にドイツ鉄道のコーポレートマーク"DB"がプリントされている。

参考文献/続ドイツ鉄道の素顔 東原昭彦(鉄道ジャーナル2004年7月号)