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バルト海(バルトかい、Baltic Sea)とは、北ヨーロッパに位置する地中海。ヨーロッパ大陸本土とスカンジナビア半島に囲まれた海洋であり、日本での古称は東海。
日本での古称「東海」は、ゲルマン系言語における名称の翻訳借用である。
面積40万平方km。平均深度は55mと浅い海洋であるが、最大深度は459mとなっている。平均水温は3.9度。特筆すべきこととして、平均塩分濃度が全海洋平均の31.9パーミルと比べて26パーミルとかなり低いことがあげられる。この理由としては、流入河川が多いこと、高緯度地帯に位置し、水温が低いため蒸発量が少ないこと、外海である北海への主な出口がカテガット海峡しか存在せず、これが隘路となり、海水の循環が少ないことがあげられる。低水温および低塩分濃度のため、冬季には結氷する。
海域の北部にはボスニア湾、東部にはフィンランド湾、リガ湾、南部にはグダニスク湾などの湾がある。また域内の島嶼としてボーンホルム島(デンマーク)、ゴットランド島(スウェーデン)、エーランド島(スウェーデン)オーランド諸島(フィンランド自治領)、ヒーウマー島、サーレマー島(エストニア)などがある。最も大きな島はゴットランド島であり、域内の南部に位置している。
外海とはカテガット海峡を経てスカゲラック海峡とつながり、さらに北海と結ばれている。さらに、白海・バルト海運河で白海と、キール運河で北海と結ばれているなど、航路が整備されている。
また、海域に面した国家は多くスウェーデン、フィンランド、ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツ、デンマークの国々が面している。
古代ローマではバルト海南東部をスエビの海(Mare Suebicum)と呼んでいた。南岸にゲルマン人ともケルト人ともいわれるスエビ族が住んでいたようである。民族移動時代の前は、スエビ族はゲルマニアの最強民族として知られていた民族である。8世紀以降、ノルマン人を中心としたヴァイキング(ヴァリャーグ)が、バルト海を掌握していた可能性が高く、バルト海が「ヴァリャーグ海」と呼称されていた時代もある。
中世以降、バルト海を巡って、ハンザ同盟、デンマーク、スウェーデン、ロシア、プロイセンなどが争った。17世紀にバルト海を制したスウェーデン王国を、後世ではバルト帝国、あるいはマーレ・バルティクム(バルト海のラテン語名)と呼び表すようになった。帝政ロシア時代は、バルチック艦隊の展開海域であり、日露戦争時にはこの海域より日本海に向けてバルチック艦隊が出撃した。
バルト海南岸の、現在ドイツ・ポーランド領となっている地域のうち、低湿で農業に適さない西側はポンメルン(ポモージェ、ポメラニア)、より豊かな東側はプロイセン(プルシ、プロシア)と呼ばれていた。
バルト海の西端はスウェーデンとデンマークに挟まれたエーレスンド海峡で、幅はわずか7 kmしかない。中世より、この海峡はバルト海沿岸諸国が大西洋、北海への航路上必ず通過するルートであった。その為、スウェーデンとデンマークでは通行税をめぐる争いがあり、海峡には要塞や城が設けられていた。その中で有名な城が、デンマーク側にあるシェイクスピアの「ハムレット」の舞台となったクロンボー城(世界遺産)である。尚、現在は両国間での争いはなく、船舶が航行できる。
バルト海には多数の船が沈没している。中でも17世紀当時の世界最大の軍艦ヴァーサ(スウェーデン海軍所属管)が沈んでいて、レックダイバーが捜索し、引き上げられている。
バルト海の海底には良質の琥珀を大量に含む地層が露出している。古来、沿岸各地の海岸では打ち寄せられた琥珀を収穫することができ、地域の特産品であった。
バルト海は内海のため、海況が穏やかであり、また対岸までの距離も短いため、古くより海上交通網が発達している。現在は、移動時間の短い飛行機の利用も多いが、費用が安い、航空路がない、静養などの理由により船舶を利用する人も多い。貿易船の来航も多いほか、バルト海周辺各国の首都・主要都市からは毎日、大型船舶が出航しており、中にはバルト海クルーズを行うツアーも数多くある。
座標: 北緯59度30分 東経23度00分 / 北緯59.5度 東経23度