|
慰安婦(いあんふ)とは、日中戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争[1][2][3][4]、ベトナム戦争[5]及び韓米軍事合同訓練[6]並びにアメリカ軍[7][8][9][6]、連合国軍[10]及び国連軍[8]の駐留時などに、当時の戦地、訓練地、駐留アメリカ軍基地周辺の基地村(기지촌)[6][11]などに設置された慰安所と呼ばれた施設で日本軍や韓国軍[1][2][9][6]やアメリカ軍[8][9][6]や国連軍[8]の軍人に対して、性的サービスを行っていた女性の総称。
制度としての慰安婦は、軍相手の「管理売春」という商行為をおこなう存在であり、慰安婦には報酬が支払われていたが、過酷な性労働を強いた性的な奴隷に等しいとする主張もある。
日本のケースでは民間業者が新聞広告などで広く募集するなどして日本人女性以外からも慰安婦を採用していたが、慰安婦を強制連行したか否か、強制的なものであったかなどの点について論争がおこなわれている。
1983年に吉田清治が済州島で「慰安婦狩り」を自ら行ったとする「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」を出版[12]。1989年に韓国でも出版され、同年中に済州島新聞[13]や済州島郷土史家の金奉玉によって虚偽であることが判明した[12][9]が、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を・百人委員会」事務局長青柳敦子と在日朝鮮人宋斗会が韓国で謝罪と補償を求める訴訟の原告を募い[14][12]、吉田は韓国に渡り、謝罪碑建立と謝罪活動を始めた[12]。
1992年、朝日新聞や韓国メディアは宮沢喜一首相の訪韓を前にして、吉田の証言や韓国謝罪行脚を連日掲載し、宮沢の訪韓はデモ隊が待ち受けるなかで行われた[12]。宮沢は事実関係の調査を経ることなく[14]何度も謝罪の発言を行った[14][12]。同年、日本の歴史家秦郁彦による現地調査でも強制連行が虚偽であることが確認された[12]。1993年、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求し[12]、全ての高校教科書に従軍慰安婦として記載されることとなった[12]。同年、日本政府は韓国政府に強制性を認めるよう要求され、関係資料を調査した結果、「強制連行を行ったという資料は発見されなかった」「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が[15][16]、河野洋平内閣官房長官の政治決断によって、「日常生活に強制性が見られた」と解釈することで[15]、日本軍の要請を受けた業者によって女性が意志に反して集められ、官憲が直接加担したこともあったとする河野談話が発表され[17]、現在にいたるまで深刻な外交・教育問題となるようになった(河野談話が国内外から出される対日非難決議の根拠とされることとなる[18][19][16])[14]。1994年には永野茂門法務大臣が「慰安婦は公娼である」と述べたことで辞任に追い込まれた[12]。
吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認め[12]、朝日新聞は1997年に「吉田証言の真偽は確認できない」との記事を掲載した[12]。2007年に安倍晋三首相は「虚偽と判明した吉田証言以外に官憲の関与の証言はない」と答弁している[20]。
国連人権委員会には日本カトリック教団が積極的なロビー活動を行い[21]、1996年にクマラスワミ報告書、1998年にマクドゥーガル報告書が提出されるに至り[16]、白柳誠一枢機卿は日本政府に謝罪と補償を求める論文をカトリック新聞で発表するとともに「応じよ!国連勧告」100万人署名運動を呼びかけた[21]。2000年に朝日新聞元編集委員の松井やよりが主催する「戦争と女性への暴力」日本ネットワークや韓国挺身隊問題対策協議会などの団体によって「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」が開かれた。「法廷」では「昭和天皇および日本国は有罪」との「判決」が下され、取材をおこなった海外のメディアが「日本国が女性を強制連行して性奴隷にした」と報じたことで慰安婦問題は世界各国でも認識されるようになった。
慰安所営業者の半数は朝鮮人であり[22]、日本軍は誇大広告を禁止するとともに渡航する女性が本人自ら警察署で身分証明書の発給を受けて誘拐でないことを確認するよう通達を出し[23]、朝鮮では日本の官憲が日本人や朝鮮人の女性を誘拐して売買をおこなったものを取り締まっていたが[24]、河野談話以降は海外から「日本政府が数十万人の女性を強制連行して性奴隷にした」として非難され、日本国内では女性の人権などの観点をめぐって様々な議論となっている。
韓国のケースでは韓国政府やアメリカ政府による強制があったとされている[25][1][2][26]。朝鮮戦争中に韓国軍に逮捕された北朝鮮人女性は強制的に慰安婦にされることもあった[4]。さらに韓国軍の北派工作員は北朝鮮で拉致と強姦により慰安婦をおいていた[2]。少なくとも1980年代までは韓国人女性達はアメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた[25]。韓国人女性達への強制が終わると、ロシア人女性やフィリピン人女性達が代わりとなった[10]。1990年代以降の韓国では、アメリカ軍基地の近くで韓国人業者によりフィリピン人女性達が売春を強制されている[27][28]。1990年代中ごろから2002年までに5000人のロシア人やフィリピン人女性達が密入国させられた上で売春を強制させられていた[27][29]。2000年代の韓国では、韓国軍相手の女性達の90%がロシア人やフィリピン人女性などの外国人であるとされている[26]。2009年現在のアメリカ軍基地近接地で売春を強制させられている女性に占めるロシア人女性の比率は減少しているがフィリピン人女性の比率は増加している[28]。なお、韓国では売春は違法行為である[30]。
日本政府としては、1951年9月8日に連合国諸国とサンフランシスコ講和条約を締結し[31]、関係諸国との2国間条約を締結し請求権問題を解決した[32]。1965年6月22日には韓国と財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定を締結し、1000億円以上を支払うとともに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを韓国政府とともに確認した[33]。近年では、1994年8月31日に村山富市内閣総理大臣が元慰安婦に対しておわびの談話を出している[34]。また、1996年には橋本龍太郎内閣総理大臣は元慰安婦(アジア女性基金が対象としていない日本人女性を除く)に対しておわびの手紙を出している[32]。同時に、サンフランシスコ講和条約、二国間の平和条約及び諸条約(日韓基本条約など)で法的に解決済みであることを明らかにしている[32]が、女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であるとの認識のもと、道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業への協力、日本人女性を除く元慰安婦に対する医療・福祉支援事業に対し資金拠出などを行った[32]。1997年1月よりアジア女性基金は償い金の給付と医療福祉援助を行い、韓国人、台湾人、オランダ人、フィリピン人女性などが受給した[35]。いずれの談話も慰安婦という職業の存在を認め名誉を傷つけたとはしているが強制連行などをしたとの見解は表明していない[34][32]。
韓国では、1997年に11名の元日本軍慰安婦がアジア女性基金による償い金を受領したが、1998年に韓国政府はアジア女性基金の償い金の受け取りは認めない方針を示した[35][36]。これに対して日本側は医療施設建設など事業転換を提案したが、1999年6月に韓国政府は改めて拒否を通告した[35]。これにより、韓国政府はアジア女性基金による償い金受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給することとし、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に亡くなったものを除く142人に生活支援金の支給を実施している[35][11][36]。一方、アメリカ軍相手の売春を強制されていた女性達は謝罪と補償を求めているが[25][11]、自発的な売春婦であるとして一切の謝罪・補償をおこなっていない[11]。アメリカ軍相手の売春を韓国政府やアメリカ人により強制されていた女性達は韓国政府の日本に対する絶え間ない賠償要求は韓国自身の歴史に対する欺瞞であると訴えている[25]。フィリピン政府としては売春を強制されたフィリピン女性のために韓国で訴訟活動を行っている[29]。2000年代以降、韓国挺身隊問題対策協議会や韓国政府主催の世界韓民族女性ネットワークは日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各地でおこなっている[37][38][39][40][41]。日本からは民主党の国会議員が韓国でのデモに合流している[42]。
2007年7月30日、アメリカ合衆国議会は「日本政府によって日本軍のために、いまだかつてないほどの残酷さと規模であった20世紀最大の人身売買の1つである」とし、「性奴隷にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求する」としたアメリカ合衆国下院121号決議を採択した[43]。この採択は、在米韓国人によってアメリカ合衆国各地に慰安婦謝罪決議案採択のための汎対策委員会が設立され、旧日本軍慰安婦謝罪要求決議が可決されるよう韓国系アメリカ人によるアメリカ下院議員へのロビー活動の成果であり、日本政府の不決議へのロビー活動は失敗し多くの禍根を残した[44][45]。この成功を受けて、韓国挺身隊問題対策協議会はヨーロッパやアジア各国で旧日本軍慰安婦謝罪要求決議がなされるよう運動を呼びかけた[44]。9月20日にオーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議、11月20日にオランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、11月28日にカナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議、12月13日に欧州連合(European Union)の欧州議会本会議[46]、2008年3月11日にフィリピン下院外交委[47]、10月27日に韓国国会は謝罪と賠償、歴史教科書記載などを求める決議採択[48]、11月11日に台湾の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択される[49]など、サンフランシスコ講和条約締結国[50]から次々に日本のみを対象とする決議が出されている。これらの諸国は朝鮮戦争に国連軍としても参加している[51]。軍事裁判や講和条約でその責任や賠償は終わっている、サンフランシスコ講和条約以前のことを持ち出すことは国際法違反であると指摘されている[52][53]。アルジャジーラは、「アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を作り出そうとしている」と報じている[54]。2009年に入ると日本に謝罪を要求する国連決議が可決されるようアメリカ合衆国下院議員やナヌムの家が活動を行っており[55][56]、韓国政府はこれらの動きについて「評価する」と表明している[57]。アメリカ合衆国では日本軍の慰安婦を対象とした「慰安婦記念碑」を「ユダヤ人虐殺記念碑」と同等とみなして全米各地で建立する運動が韓国人によって行われており[58]、図書館などの公共施設の入り口に設置することが許可されている[59]。2009年9月現在、アメリカ合衆国議会によって、日本政府に謝罪を求めるとした国連決議がなされるよう働きかけが行われている[60]。
日本国内では、アメリカ合衆国による謝罪要求決議を受けて、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞、毎日新聞は決議を非難する報道を行ったが、朝日新聞は安倍晋三首相は河野談話と同様の談話を再度出すべきであると報じた[61]。2007年8月29日、在日本大韓民国民団の機関誌民団新聞が旧日本軍慰安婦謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかける論文を掲載する[44]。「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求めるとした意見書を、2008年3月28日に兵庫県宝塚市議会が採択したのを始めとして2010年6月までに民主、公明、共産系が多数を占める25の市議会で採択されており、2009年に民主党が政権獲得後に増加している[62][63]。民主党らによって日本人女性を除く元日本軍慰安婦に対して新たな謝罪と補償と戦時性的強制被害者という新たな呼称を定めるための戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案が提出されており、政権獲得後に実現させるとしている[64]。
在日特権を許さない市民の会や主権回復を目指す会などの「保守系住民団体[65]」は、「日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償」を要求している団体と激しく対立している[65]。また、「違法な形でデモや集会をおこなっていることを警察が黙認している」と抗議し[66]、警察側が抗議に応じてデモを解散させたこともある[67]。
2005年8月に1965年当時の日韓交渉に関する文書が公開されると、韓国政府は「結ばれた協定には反人道的違法行為は含まない」と発表した[68]。2009年8月14日、ソウル行政裁判所は「1965年に締結された財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定により日本政府から無償で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、大韓民国外交通商部としては、すでに補償は解決済み」としたが[69][68]、2010年3月15日に、慰安婦については「1965年の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と発表した[70]。同年3月17日、日本政府は改めて「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている」とする見解を発表した[71]。2010年4月28日、フィリピン最高裁は、フィリピン政府に日本政府への謝罪要求を支持するよう求める訴えを退けた[72]。
当時女性達は、「慰安婦(위안부[6])」という呼称が用いられていた。当時の文献によると、「慰安婦」という呼称のほかに「(料理店の店員を名目として)酌婦」「(慰安所)従業婦」「(慰安所)稼業婦」「醜業婦(売春婦)」などという呼称[73]が存在していた。また現地の軍人は、慰安婦のことを「ピー」、慰安所のことを「ピー屋」(prostitute 娼婦の頭文字[9])と呼んでいたとも言われている。[74][75]ベトナム戦争時は「ディズニーランド」とも呼ばれた[5]。慰安所に限らないが「娘子軍(=からゆき=海外出稼ぎ娼婦)」という言い方も多い。また、海軍では「特要員」の名の下に戦地に送られたとも言われている[76][77]。韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』には「固定式慰安所-特殊慰安隊」とあり、朝鮮戦争中は「特殊慰安隊」[1][2][10][4]または「第5種補給品」[1][9]とも呼ばれていた。朝鮮戦争後は「アメリカ軍慰安婦(美軍慰安婦)」[8]「国連軍相対慰安婦(UN軍相對慰安婦)」[8]「洋パン(ヤン・セクシ)」[9]「洋姫(양공주)」[9][10]「挺身隊(정신대)」[6]とも呼ばれていた。
1980年代以降、旧日本軍が戦地の女性を慰安婦にするため、強制連行したという主張がなされ、社会問題となった当初は、千田夏光が自著の題名を自身の造語である『従軍慰安婦』(双葉社 1973年)としたことの影響もあり、日本軍の慰安婦は「従軍慰安婦」と呼ばれることが多かった。
これに対し“従軍”という言葉を巡り、慰安婦は旧日本軍による強制ではなかったとする立場から「旧日本軍が強制連行した証拠はない」、「当時、『従軍慰安婦』という言葉はなく、『慰安婦』と呼ばれていた」という主張や、また強制であったとする立場においても、女性団体などから「従軍という言葉は自発的なニュアンスを感じさせる」との批判や抗議などがなされた[78]ため、近年のマスメディアによる報道では概ね「慰安婦」という呼称が用いられるようになった。
また、同じく旧日本軍による強制でなかったとする立場からは、「『従軍』という言葉は、軍属という正式な身分を示す言葉であり、軍から給与を支給されていた」から、慰安婦に使う用語ではないという主張もあった[79]。これは、従軍看護婦、従軍記者、従軍僧侶などと慰安婦を「同列」に扱うことを非難する意味もあった。千田は、従軍看護婦の主力は「日本赤十字社救護看護婦」で、給与は日本赤十字社から出されていたこと。戦後の軍人恩給で、ごく一部の婦長を除き、軍属ではないとして恩給の対象から外されたことなどの例を挙げ、「従軍とは軍隊に従って戦地に行くことであり、それ以上の意味もそれ以下の意味もない」と反論した[80]。
現在でも一部に「従軍慰安婦」という呼称が用いられる例がある。2009年7月10日、埼玉県平和資料館で在日本大韓民国民団が歴史年表の「従軍慰安婦」から「従軍」の2文字が削除されたことについて復元するよう抗議を行った[81]。
日本では2000年代から民主党などによって日本軍慰安婦(日本人女性のみ除外[82])は「戦時性的強制被害者」[83]という新たな名称で呼ばれており、民主党などが提出する「元日本軍慰安婦とされる人々へ新たな謝罪と賠償を行う」とする法案名は「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」とされている。
韓国では、日本軍を対象とした慰安婦問題が起こった当初から、「女子挺身隊」との混同から呼ばれてきた「挺身隊(정신대)」という呼称が一般に定着している[84][85][86]。なお、アメリカ軍相手の慰安婦は韓国警察や韓国公務員により挺身隊とも呼ばれていた[6]。
日本軍のみを対象とした慰安婦問題の代表的団体である「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は「従軍慰安婦という言葉は正しい表現ではない」とし、「日本軍慰安婦」と呼んでいる[87]。
英語圏では、「慰安婦」を直訳した“Comfort Woman”という呼称が用いられている場合が一般的である。しかし近年、慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題などとして告発する立場などにおいては、性奴隷の訳語に当たる“Sex Slave”[88]の用語が用いられることもある。『ニューヨーク・タイムズ』は日本軍相手の女性達を性奴隷もしくは慰安婦と呼称しているが[89]、アメリカ軍相手の女性達は日本軍の慰安婦とは異なるとして売春婦と呼称している[25]。一方、アメリカ軍や韓国軍などを相手とした女性達への当時の韓国政府や韓国報道機関による公式呼称は慰安婦である[8][9]。
慰安婦制度を批判する側では、「慰安婦」という言葉が実態を反映していないとして、「日本軍性奴隷」という用語を使用したり、慰安婦を括弧付きで使用している例もある[90]。また、金銭授受が明確にあった事から「追軍売春婦」とも呼ばれる。
日本における諸説
韓国における諸説
アメリカ合衆国における諸説
(これらの説では当時の下級兵士の回想から、朝鮮人女性が多かったと見ている)
士気昂揚はもちろん、戦争という事実に伴う避けることの出来ない弊害を未然に防ぐことができるだけでなく、長時間にわたる報われない戦闘によって後方との行き来が絶えているため、この性に対する思いから起こる生理作用による性格の変化などによって鬱病、その他の支障を招くことを予防するために、本特殊慰安隊を設置させた。
その他、慰安所を中心とした視点と詳細については、「慰安所」の記事を参照。
(※軍の関与・強制性、強制連行の有無の点については論争となっている。詳細は論点の節を参照)
報酬を得ていたとするもの
日本軍を相手とした場合は兵士が支払った料金の半分以上が女性の手取りとなり、残りが業者のものとなった[5]。
報酬を得ていなかったとするもの 報酬を得ていた事を認めていても、下記理由で反発がある。
1970年代に、旧日本軍が戦地の女性を強制連行し、慰安婦にしたとする本が数冊出版された。[138][139][113] 中でも、元陸軍軍人の吉田清治(本名:吉田雄兎)は『朝鮮人慰安婦と日本人』(新人物往来社 1977年)で、軍の命令で自身が韓国の済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたと告白。そして、日本、韓国、アメリカなどで講演を行なったり、新聞やテレビなどのマスメディアに精力的も出演し[140]、裁判の証人としても朝鮮人の奴隷狩りを証言したり、1990年代には国連の人権委員会に働きかけるなど、この問題を世の中に大きく広めた。済州島の郷土史家金奉玉は、「数年間も追跡調査を行った結果、事実ではないことが明らかになった。この本は日本人の浅ましさをあらわす軽薄な商魂の産物であると考える」と述べている[9]。
韓国においては、吉田のこの著書は翻訳して出版され、史実としてドラマ化もされた。これらを受けて1990年、10年前から慰安婦の調査を行なって来た梨花女子大元教授の尹貞玉 (ユン・ジョンオク)がこの問題を新聞などのメディアで告発し、多数の女性団体が結集した「挺身隊対策協議会」を初めとして、様々な団体がこの問題に取り組み慰安婦問題が大きな運動になる。1991年には、韓国で元慰安婦が初めて名乗り出て、自らの体験を語った。その後も韓国、フィリピン、台湾などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数出、日本の弁護士らの呼びかけで、日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟がいくつも起こされるようになる。
日本ではこの問題の報道を『朝日新聞』が主導した。吉田の証言を紹介し、韓国の元慰安婦が名乗り出たこと、慰安所に対する旧日本軍の関与を示す資料が見つかったことなどと大々的に報じた。それらの報道は韓国でも伝えられ、反日感情が高まり、慰安婦問題は日韓の政治問題となっていった。 1992年 、反日デモが高まる中、訪韓した宮澤喜一首相は盧泰愚大統領との首脳会談で慰安婦問題について謝罪し、真相究明を約束する。政府の第一次調査では「軍の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は無かったとしたが、反日世論の中で韓国政府が受け入れなかったため、1993年、第二次の調査を行ない、その結果発表の際に、河野洋平官房長官がいわゆる「河野談話」を発表。慰安婦の募集について「官憲等が直接これに加担したこともあった」、「慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。」として、旧日本軍による強制連行を認め、反省とお詫びの意を示した。これにより、平成六度版の高校歴史教科書から、韓国政府から強く要請されていた慰安婦の記述がなされるようになり、やがて、中学校の歴史教科にも及び、ほとんどの歴史教科書で慰安婦についての記述が掲載されるようになって行った。
1995年、日本政府は慰安婦問題を認めた責任から、民間(財団法人)からの寄附という形で元慰安婦への支援を行うため、「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立したが、特に韓国ではあくまでも国家として賠償すべきと政府や元慰安婦支援団体の反対運動により、多くの元慰安婦が基金からの支援を拒否した。
1996年、国連人権委員会に提出されたいわゆる「クマラスワミ報告書」と呼ばれる女性への暴力を取り上げた報告書において、慰安婦制度が国際法違反であると指摘され、日本政府は慰安婦に対する賠償すべきと勧告したのを初め、国際機関などにおいても、慰安婦問題への批判がなされる動きも出てきた。
1992年から、現代史家の秦郁彦(元日本大学教授)を初めとする歴史学者などが、吉田の証言やその経歴や著書において嘘や矛盾があると指摘していたが、1996年、吉田清治が自身の証言における「時」と「場所」はフィクションであることを明らかにしたことで、慰安婦の強制連行の大きな根拠とされて来た吉田証言への信憑性が揺らぐこととなる。そして、慰安婦の強制連行を認めない保守系の論客や、メデイアは、吉田証言を大きく取り上げて来た『朝日新聞』に対して、それまでの慰安婦報道において事実の歪曲があった[141]ということを含め、厳しい批判を浴びせた。このように軍が女性を強制的に連行していたことを裏付ける根拠が弱まった頃から、吉見義明が「強制連行」という「狭義の強制性」に対し、女性たちが甘言や詐欺、あるいは借金などのカタにより慰安婦にされたこと、旧日本軍による慰安婦の募集や慰安婦の慰安所での生活がきわめて不自由であったことなども問題であるとし、これらを「広義の強制性」問題だとして批判しはじめ、以降そのような観点からも慰安婦制度への批判がなされるようになった。同年6月に文部省(現:文部科学省)が検定結果を公表した中学校教科書では全ての歴史教科書に慰安婦に関する記述がなされていた。これらを問題とした有識者らが同年12月に「新しい歴史教科書をつくる会」(略称・つくる会)を発足、それらの教科書を「自虐史観」であると批判し、それらに対抗する新しい歴史教科書をつくる運動を精力的に進めることとなり、慰安婦問題は「歴史認識問題」、「歴史教科書問題」にもなっていった。「自民党」においても、若手議員らが、「つくる会」と同様に現在の日本の歴史認識を「自虐的」として修正を求める運動を始めるようになる。翌1997年には、「河野談話」発表に至る調査に関わった政府関係者が、強制連行の証拠となる資料は一切なかったが、韓国政府の強硬な要請に押され、政治判断として強制性を認めたことなどを明かした[142][116][117]ことから、証拠もなく、日本を不利な立場に立たせたとして、「河野談話」への批判[143][144]もなされるようになり、強制連行の有無などをめぐり激しい議論がマスメディアで繰り広げられるようになる。「河野談話」で強制性を認めた政府ではあったが、ときおり、自民党の議員が強制連行を否定する発言をしたことが報じられ、中国、韓国からの強い反発を招くということが繰り返されている。
2001年4月、「つくる会」の中学校歴史教科書が検定を合格したが、強い反対運動もあり、実際にはほとんどの中学校で採択されなかった。一方、同年に検定通過した他の教科書においては慰安婦の記述が減少し、1999年には中学歴史教科書からは「従軍慰安婦」という用語が消えた。
もともと朝鮮では徴用を忌避する傾向があり、太平洋戦中には挺身隊に行くと慰安婦にされるという噂があった。ただし1960年代までは、その噂を事実と認める韓国の研究者はいなかった。[84][146]
実際に強制性が存在したかについては、いわゆる強制連行の有無や、売春が強制下で行われたのではないかなどを含めて様々な議論がある。強制的に連れ去られた事実が存在したのか、また存在したとしてそれを行い売春を強要させた主体が日本政府(軍)だったのか、被害者の両親と金銭取引を行い、本人の意思を無視して連れ去った民間業者だったのかで意見が分かれる。
現在の所、慰安婦を強制連行したという公になされた加害証言は吉田証言のみとされているが、その吉田証言はその信憑性が問題視され、慰安婦問題を批判する側からも採用されなくなりつつある。
自著で、韓国の済州島において、慰安婦にするための205人の女性を強制連行したと告白し、日本、韓国、アメリカなどで、何度もそのことを証言して来た。自著では当時の命令書の内容まで詳細に記載していた。初めての、かつ今日まで唯一の加害証言として旧日本軍の慰安婦に対する強制連行の有力な証言として、扱われてきたが、秦郁彦、中村粲、板倉由明、上杉千年らの歴史学者の検証によって、その証言をはじめ、吉田の語っていた軍の命令系統から本人の経歴に嘘や矛盾があると指摘された[130][218][219]ため、旧日本軍による「強制連行」を否定する側からは捏造だと批反されている。
日本政府が慰安婦に対する強制性を公式に認めた談話ではあるが、その意義や根拠について賛否両論を呼んでいる。
金喜午(김희오)大将は韓国軍慰安婦について明らかにされたくはない恥ずかしい軍部の恥部であるが事実であると証言している[4]。
韓国陸軍本部が1956年に編さんした公文書『後方戦史(人事編)』では朝鮮戦争中の韓国軍慰安婦や慰安所についての記録や統計がなされている[1][2]。
日本人がどのようにして韓国人「慰安婦」を募集したか、彼女らの生活、仕事の状況、彼女らの日本軍人に対する関係と反応、そして彼らの軍事情勢に対する理解度を明らかにする目的で、北ビルマ(現:ミャンマー)のミートキーナー(ミチナ、Myitkyina)で捕虜となった慰安所経営者の日本人夫婦及び朝鮮人慰安婦20名に対して、米国陸軍の戦争情報局心理作戦班が”UNITED STATES OFFICE OF WAR INFORMATION Psychological Warfare Team Attached to U.S.Army Forces”[231](「戦闘地域の日本軍の売春所」 米国立公文書館所蔵)と題する報告書を1944年9月に作成、同年11月、米軍の東南アジア翻訳尋問センターが作成した尋問報告書の中に含まれていたこの報告書は、29年後の1973年に公開された。[204]
韓国人、中国人などを中心に、元慰安婦であると名乗り出た人々がこれまでに強制的に慰安婦にされたとして、日本政府に対し、謝罪と賠償を求める訴訟を起こして来たが、時効・除斥期間の経過、大日本帝国憲法が定めていた「国家無答責の法理」(官吏が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。
1965年の日韓基本条約により、日本と韓国の間の請求権の問題は法的に解決されたとことになっている[237]ため、日本政府は、医療・福祉支援事業や民間の寄付を通じた「償い金」の支給などの元慰安婦に対する償い事業のために、1995年、「女性のためのアジア平和国民基金」を設立。運営経費や活動資金を負担した。歴代総理からのお詫びと反省の手紙[238]を各慰安婦に送った。フィリピン、韓国、台湾において、計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を贈るほか、医療・福祉支援事業を実施。元慰安婦の認定が行われていないオランダに対しては現地の慰安婦関係者に対する生活改善支援事業に対し援助。元慰安婦の特定が困難であるとするインドネシアに対しては、同国政府の行う高齢者社会福祉事業を援助した。韓国や台湾では日本政府に対し、「法的責任を認め、国家補償を行なえ」という主張を掲げる運動体の影響が強く、「アジア女性基金」を受け取ろうとする元慰安婦に対して、受け取るべきでないと圧力が加えられたり、政府や民間団体が「基金を受け取らないと誓約すれば300万円・200万円を支給する」ことを表明したため、韓国では半数以上の元慰安婦が受け取りを拒否した。[239]
2004年2月、韓国国内で挺身隊(韓国では慰安婦の意)をテーマにした映像・写真集が民間業者によって企画・撮影されたが、被写体の女性が上半身裸であったことから「商業的ヌードに挺身隊のイメージを利用するのは冒涜だ」と市民から猛抗議が起きた。結果、企画は中断されることとなったが、韓国で慰安婦問題が依然として大きな問題として存在していることを象徴する事件であった。
2010年現在、韓国では慰安婦問題解決のため50万人の署名を集める運動が展開されているが、2010年3月の時点で2万人未満の署名にとどまっている[240]。
欧米の研究者は慰安婦を“性奴隷”として捉えている人物が多い。ジョージ・ヒックス(George Hicks)の著作”The Comfort Women”はその信憑性が破綻している吉田証言に依拠していると言われ、アンドルー・ゴードンはヒックスを重視してまとめたという。国連報告をまとめたクマラスワミ報告も参考文献はヒックスのみに依拠しているという[85][241]。また、同じく国連で報告書をまとめたマクドゥーガル報告書は慰安所を等しくレイプセンターと呼び、慰安婦20万のうち3分の4の朝鮮人慰安婦が死んだとしていることについて「アジア女性基金」は自民党代議士の放言に過ぎず、まったく根拠のない主張と批判している[103]。さらに、吉見義明はマクドゥーガルが政府調査に基づくと報告した中で実際に政府資料にない箇所を本人を前に指摘したが、マクドゥーガルは無視したという[242]。
国連の他の問題においても性奴隷という言葉が用いられるが、1992年以降、日本弁護士連合会は、NGOと共に国連において慰安婦問題を性奴隷として扱うように働きかけ、1993年のウィーンの世界人権会議において性的奴隷制という用語が国連で採用されたのが始まりであると語っている[243]。
事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、 為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・(中略)・・ 犯罪非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・(中略)・・事変地においては特に環境を整理し、慰安施設 に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情を緩和抑制することに留意するを要す。・・(中略)・・ 特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の 予防等に影響するに大ならざるを思わざるべからず。
「台電 第602号」(全文)
勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、